庭のバラの言葉と、わたしの「あたりまえ」を見つけるということ

公開日:令和7年11月24日 S筆

庭のはずれに ばらのしげみがあった。 昼が過ぎ、夕方になり、しんしん冷えて、手足も冷えて、なんだか変になってきたとき、  **「ありがとう さみしかったんだ」**  **「ありがとう うれしかったよ」** しげみが、はっきりそういったのを、わたしはきいた。--- 大島弓子作 『バナナブレッドのプディング』より---

こんにちは、筆者Sです。

これは、漫画家・大島弓子先生の作品『バナナブレッドのプディング』の一文です。秋の夜長に、久方ぶりに先生の作品をパラパラとめくります。静かで平穏な日常の物語です。

そしてその平穏な日常の中にある微妙な気持ちのズレ。小さな悲しみ、さみしさ、ほんの少し心が痛む瞬間。誰のなかにもある、なんでもない日常の物語です。

私はこの本に出会って40年以上過ぎた今でも、この上ない憧れです。



夫がうつ病になり、わたしの日常は、平静でなくなり、平穏がなくなり、身体も心もばらばら。何がなんだかわからないけれど、日常は続きます。うつと躁うつと、ときどき平静、そしてまたうつ。

ジタバタしながらも続いていく日常です。

しかし、

他人と同じでなくていい。他人と違っていい。 あたりまえも、他人と違ってあたりまえ。

私にとっての、あたりまえの日常がここにある。

そう思い至ったら、ふわっとした光がみつかる。大島作品をめくっていたら、そんな気持ちになるのです。

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