稲佐山の駐車場からスロープカーで行く予定が、運休。
思いがけず、展望台まで徒歩20分、階段500段を歩くこととなった。
周りもスロープカー運休は知らず、驚いている様子だったが、夜景を求めて登って行く。
車へ引き返す者は見る限りいなかった。

夜8時、空が紺色でまだ少し空の明かりで周囲の様子をうかがえる時間帯。
ようやく展望台へ到着した頃には、稲佐山の夜景を待ち侘びた人でいっぱいだ。
ちょうど辺りが真っ暗になり、光が一面にキラキラと今日一番の輝きを見せる時、展望台では人がいない最前列を我こそはと押さえて、横にずらっと3列ほどの行列ができていた。
皆、誰も映っていない、光の景色を見たいのか、写真に収めたいのか。
1列目の人はもちろん、2、3列目の人もスマホを上にあげて、誰もいない純粋な夜景のみを納得するまで写真に収める。
自分だけの写真を撮りたいから景色を見に行くのか。景色を見て感動したから写真を撮るのか。
そんな問いを考える。
今回の稲佐山の景色を見に行った際、スマホ上で見て単に綺麗だと思っていた景色に対し、こんなことを感じ、考えていた。

・真夏の夕暮れ時、20分汗だくになりながら歩いてようやく見れた夜景
・人混みをかき分けながら最前列に辿り着き、ようやく見れた夜景
・異国の地の人もかなりいたため、他国からでも見に来たくなるような夜景
・意外と夏でも展望台は標高が高く、夜景を眺めるには涼しい場所なんだな
・ちょうど最前列に行った時にハートの夜景が消えたんだよな
・昨年稲佐山に来た時は夜11時だったから、展望台までの駐車場に停めれたんだな
これら全てを体験したのは自分だけである。
きっと自分が稲佐山でこの日撮った写真は、誰かが同じようなもっと良い写真をアップしているんだろう。
そう思いながらも、、
自分だけの体験の中で撮った写真は、その1枚から自分だけしか思い出せない情景が浮かび、捨てきれない。
問いに戻るが、筆者は、写真を撮りたいから景色を見に行くが優勢である。
景色を見て感動するかは、現地に行かないと分からない。
しかし、本当に自身が心揺さぶられる景色は、1枚の写真を見た時に当時の情景が浮かぶものだと思っている。
だから、後者の景色を見て感動したから写真を撮るといった体験が今後も増えれば良いと感じた日であった。

(M筆)